愛憎は表裏一体
愛憎は表裏一体って聞いたことがあると思う。
愛情と怒りや憎しみといった感情は紙一重。
一見結び付かないように見えるこの相反する2つの感情。
実はそうでもない。
好きという気持ちが強ければ強いほど、その気持ちが裏切られた時、傷つけられた時に沸き上がってくる怒りや憎しみの感情はとてつもなく大きくなる。
好きという気持ちと憎しみの気持ちは比例するのね。
だから憎しみが強いということは、相手への愛情も深かったってこと。
愛することも憎しむことも結局は相手に興味、関心があるってこと。
だって本当に興味も関心もない無関心な状態なら、心が揺れることがない。
何の感情も持たない、持てない。
愛も憎しみも気持ちの矢印(ベクトル)の向いてる方向は違えど、相手になんらかの興味、関心を持っているという点では同じ。
だから愛憎は表裏一体という言葉にもなる。
愛の反対は憎ではなく無関心
マザー・テレサの有名な言葉に
愛の反対は憎しみではありません
愛の反対は他者への無関心です
というものがある。
確かにね…愛が無ければテレビで見る殺人事件だって「へぇ~」で終わっちゃうし、見知らぬ人が道端で転んだとしてもなんとも感じないもんね。
心が傷むこともない。
ということは、愛の反対語は無関心という言葉に納得もいくかな…。
恋人に酷い仕打ちをされた…相手に対して無関心ならば怒りや憎しみの感情は沸き上がってこないのかもしれません。
もし無関心な相手に対して怒りを感じるのなら、それは相手に対しての愛情ではなく、ただ自尊心を傷付けられたことに対する怒りなんだと思う。
表裏一体の怒りや憎しみの感情は当たり前の感情
愛する人や信頼していた人からの裏切り等で怒りや憎しみの感情が沸き上がってくるのは、ごく自然なことなんだと思う。
だからもし「怒りや憎しみの感情」が沸き上がってきたとしても、「なんてひどい、醜い人間」なんだと自分を卑下する必要なんてない。
だって当たり前の沸き上がってくる感情なんだもん。
まずは傷ついた自分の心を癒してあげようね。